Kalanchoe.

「幸福を告げる」「たくさんの小さな思い出」「あなたを守る」「おおらかな心」

九死に一生を得る

 

 

夏にぴったりの、背筋が寒くなるような話をひとつ。

 

 

 

 よく、「当たりどころが悪かったら死んでいた」という話を聞く。

端的に言うと、心臓が悪い人が人にぶつかったとき、もし心臓がある位置に衝撃を受けていたら心臓が止まり死んでいたかもしれない、とかそういう話だ。

ただ人の身体というのはおもしろいもので、神経が身体全身に張り巡らされているためどこか当たった場所、当たり方、ちょっと狂うだけで簡単に死んでしまうこともある。

また、都市伝説やよくある話の一つとして、「当時指名手配されていた殺人犯に話しかけられる」なんてこともある。もしあのとき受け答え方によっては殺されていた、なんでよく言われている。

 人は常に死と隣り合わせだ。こうして椅子に座ってブログを書いていると、もしかしたら窓から殺人鬼が入り込んできて殺されるかもしれない。そうでなくても、いきなり心臓発作を起こし死んでしまうかもしれない。

それでも、人間いつ死ぬかわからないのだから今を大切にしようとかそういうことは思わない。なぜなら、確かにいつ死ぬかはわからないが人間はいつかは必ず死ぬ。

 

 

これはそんな死の恐怖についての話だ。

 

 

 

夏休み。私は毎日午前中は塾で学校から出された課題を片付け、午後から塾で授業を受け、夜の20時頃に帰宅する日々を送っていた。

今から考えると非常に辛い日々ではあるが、同じ塾の人間とはみんな仲がよかったし、先生も面白い人が多かったため学校とは違う楽しさを毎日感じていた。

それに家とは違い塾はクーラーが効いていたし、塾長の好意で冷たい飲み物やお菓子が常備されていて、家で過ごすより快適であったため、私は基本的に朝から夜まで塾で過ごしていた。

 

その日は、もうすでに夏休みの課題がすべて終わっていたため塾で出された課題をこなすためにいつものように午前中から塾に向かっていた。

前日の夜にテレビで放送されていた映画をつい全部観てしまい、寝不足気味でなかなか身が入らずにいた。

午後の授業をなんとか終え、塾を出たのが夜の20時過ぎ。このあとはいつものようにコンビニに寄ってアイスやジュースなどを買って帰る。

だが、寝不足気味であった私は眠さのピークで、ぼーっとしていた。コンビニで買ったジュースが入ったビニール袋をカゴに入れ、塾の教科書やノート、空のお弁当箱が入ったリュックサックを背負いのろのろと自転車をこぎながら、今にも寝そうになっていた。

 

家から塾に行くための近道で、古いアパートが建っている通りがある。

だが、そこは街灯も少なく、またそのアパートに住んでいる人たちにいい評判がないため両親からはなるべくその道は通らないようにと普段からきつく言われていた。

そのアパートにどんな人間が住んでいるのか、今となってもわからないが、決して知りたいとは思えない。

 

前述の通り寝不足気味であった私は、なるべく早く家に帰りたいと思いその道を通ることにした。

通りと言っても、早足で漕げば2、3分とかからない。

先ほどコンビニで買ったジュースを一口飲むと、自転車を漕ぎ始めた。

緊張で目が冴えていく。あのアパートが見え、ついにその道に差し掛かった。

 

 

普段は見ることのないアパートは暗い夜でも古いのがわかる。

そして、なんとも言えないすえたゴミの臭い、どこから聞こえるのか、どこかの国の民族音楽のような曲が流れている。そして、赤ちゃんの泣き声…

なるべくその場にいたくないと、ペダルを漕ぐ足に力を込めた。そのとき。

 

 

「あー」

 

 

どこからか、低い男の声がした。

思わず振り返る。街灯が照らすその道には、ひとりの男が立っていた。

その男の風貌は今でも忘れられない。トラウマとなって心に住み着いている。

頭はぼさぼさで、「ああ、この人お風呂はいってないんだな」と見ただけでわかるくらい、頭にはりついていた。

服は、多分汚れているのだろう。服の模様とは明らかに違うシミがいくつもついていて、明らかに虫食いだか年季が入っていることを思わせる穴が無数についている。そしてサイズが合っていないのかぴちぴちになっている。

そして… 下半身はなにも着ていない。真っ裸の状態で、靴も履いていない。裸足だ。

目はうつろで、ニキビなのか吹き出物なのかわからないものがたくさんあって、それが街灯に照らされてぼうっと浮かび上がり、まるで月のクレーターみたいだった。

 

 

男はどこから来たのだろう。おそらくはアパートの住人なのだろうか、いつの間にか私の背後に立っていた。

「あー」と声をもらし、にたりと笑う。その口元にはよだれが光る。

それを見た瞬間、背筋に「恐怖」の2文字が這いのぼり、全身を震い上がらせた。

手に持っていたペットボトルが落ちる。

頭の中が混乱し、とにかく逃げようとペダルを漕ぐ足に今まで一番というべきの力を込める。

 

 

怖い!!怖い!!!

死の恐怖とはまさにこういうことを言うのだ。いや、殺されるかはわからないが、少なくとも、今この場に留まったら今日無事に帰れるかわからない。今後一生記憶に残るトラウマを植え付けられることは確かである。

とにかく逃げた。けれど、奴はあー、あー、と言いながらぺたぺたと追いかけてくる。

アパートを離れ、家が見えてくる。

後ろを振り向くことができなかった。ただひたすら、奴の姿を再度視界に入れてはならないという気持ちが私の身体を固定して、自転車を加速させた。

家の敷地に入る。自転車を車庫に停めて、カゴの中の中身をひっつかむと震える手で家の鍵を開けて家の中に飛び込んだ。

 

 

両親はいつも帰りが遅く、私が家に着く20時半過ぎにはまだ帰ってきていない。

その日、家についたのが何時だかわからないが、おそらくまだその時間には帰ってきていなかったのだろう。

半泣きで自分の部屋に飛び込むと、そのままベッドに潜り込み、ずっと恐怖に震えていた。

 

 

翌朝。

 

ほとんど眠れなかったため、頭がガンガンとして気分が悪かった。

今日は塾を休もうと思い、家の電話を使うために下の階に向かう。

そのとき母がちょうど仕事に向かおうと家を出ようとしていたらしい。玄関を出ていたのだが、その母が私に声をかける。寝不足なのが見て取れたらしく、今日はやすみなさいと言ってくれたため、休みの許可が取れて安心したが昨晩の出来事を、これから仕事に向かう母に話すべきか決めかねていると、母が怪訝な顔つきで戻ってきた。

 

 

「これ、あなたが買ったやつ?飲むのは構わないけど、ゴミなら家の中で捨てなさいね」

 

 

母が手に持っていたのは、紛れもない、昨日帰りにコンビニで買い、あのアパートの前で落としたペットボトルの飲み物。

それを私に手渡すと、さっさと車に乗り込み仕事に向かってしまった。

 

 

そのペットボトル、中身はこぼれてしまったのか、もう空っぽだ。

ラベルははがれかけており、容器もボコボコにつぶれている。

そして、飲み口は異常なほどまでに汚れており… 持つ手が震える。

昨晩の記憶が一気に蘇り、吐き気をおぼえる。

そして、あの声が、脳内に響いて…

 

 

「あー」

 

 

 

 

九死に一生を得る:【九死に一生を得るとは、ほとんど助かる見込みのない危険な状態から、かろうじて助かることのたとえ。】