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Kalanchoe.

「幸福を告げる」「たくさんの小さな思い出」「あなたを守る」「おおらかな心」

牛に引かれて善光寺参り

 

 

文章を書くことについて、いくつかの思い出がある。

今回はその思い出の一つについて語りたいのだが、もしかしたら特定される可能性もあるため、申し訳ないがところどころフェイクを入れさせていただきたいと思う。

ただ、今回の話の証拠となる物はもうもしかしたらこの世には存在しないかもしれない。もし、心当たりがある人はこっそり知らせて欲しい。

 

 

昔通っていた小学校では、よく何かと作文を書かされていた。 

生活の授業でミニトマトを育てれば、そのミニトマトに対しての思いを作文用紙3枚に書かされ、運動会をやれば運動会の1日を作文用紙3枚に書いた。

運動会もミニトマトも、日々を過ぎればそれらに対する思いはすべて作文用紙3枚に詰め込まれていく。

 

そしてそれは、社会科見学においても同じなのであった。

 

 

社会科見学。それは子どもに与えられた社会に踏み出す第一歩である。

社会科見学として某県の某メーカーの某工場を見学し、その後某公園にて昼食をとりクラスの人とボールで遊びバスで寝て帰った。その様子を私は作文にしたためたのが、その作文のとあるシーンが担任の先生の目にとまったらしい。

 

 

今現在考えるとそんな大したことではないのだが、なんとその作文、ラジオで紹介されてしまった。どこの局でいつ頃放送されたものなのかは伏せさせて頂く。

ただ、この記事を書く前に調べたときは私の作文の放送は見つからなかったし、もうかなり前のことなのでもしかしたら記録に残っていても消されてしまったかもしれない。放送を聴いた人も言われたら「ああ、そういう番組は確かにあったかもしれないけど、そんな作文読まれてたかなあ」なんて言うかもしれない。

けれど、確かにその作文は存在し、私の作文を読んだアナウンサーもいる。それだけは確かである。

 

 

 

 

ラジオで放送された作文の冒頭は、確かタイトルと学校名と学年と氏名を読み上げ、その後本文にうつっていくスタイルだったと思う。

ラジオで読まれるにあたり、私の担任はその作文の内容を大幅に変更し、ほとんど原型を留めていなかった。

ラジオでは社会科見学の前日は雨が降ってきて、てるてる坊主を眺めながら私は明日の天気を心配していた。というようなことを言っていたが、私が最初に提出したものはいきなりバスに乗りトイレに行ったとかそういうことを書いていたと思う。

ただの小学生の社会科見学の日記が、担任の先生によりちょっとした小説になっていた。担任の先生はすごい。

 

 

そんな、担任の先生により大幅に改変された作文だが、唯一、私が書いたまま残っている部分がある。

 

それは、公園にて昼食をとり、クラスのみんなと遊んだ、という場面ではあるが、その中で私はとある花について書いていた。

 

 

ネジバナである。

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見ての通り、茎に花びらが巻きついたように咲いている姿が由来でネジバナと名付けられたものだが、世間でいう雑草に分類されている。社会科見学に行った時期はこのネジバナが多く咲いている時期であった。

 

公園で昼食をとり、みんながボールで遊んだり転んだりトイレに行ったりボールを投げたりしている中、私はそのネジバナを見ていた。

 

 

ネジバナは美しい花で、今でも見かけるたびに地面に這い蹲りiPhoneで写真におさめるくらい好きなのだが、その当時はiPhoneなんて待っていなかったので、むしって持ち帰るしか、その姿を手中におさめる方法はない。

 

 

多分、私がもっと幼かったら、雑草を雑草としか思わないような心の持ち主であったらその雑草、ネジバナを引き抜いていただろう。しかし、私はそのネジバナを引き抜かずあえてずっと見ていた。そのときの気持ちを言い表した文、

 

「なぜかというと、ネジバナがかわいそうだと思ったからです。」は、先生もなんの手を加えず残されていた。

 

 

担任の先生が言うには、その文が決め手となり、私の作文がラジオで読まれる羽目になったらしい。

ネジバナを雑草と思わず、かわいそうだからとただ眺めるだけにした、そんな清き気持ちが引き寄せたちょっとした事件であった。

 

 

ちなみに、そのラジオが放送されたのは平日の真昼間であった。そして、給食の時間に放送委員の手によって全校で流された。

私本人は、書いた作文やネジバナのことがアナウンサーに言及されるのが恥ずかしくて仕方が無かったのだが、担任の先生は、自分の名前が呼ばれた瞬間嬉しそうにピースしていた。担任の先生はすごい。

そしてカセットテープにそのラジオは録音されたのだが、色々あり紛失してしまった。だから、あのラジオを聴く機会はもうないと思う。

そのラジオが放送されてしばらくしたあと、私は全校朝会にて初めての賞状を手にしていた。

もしあのネジバナが、あのときあの公園に生えていなかったら手にできなかったであろう賞状は、今も額縁の中で輝いている。

 

 

 

おわり

 

 

牛に引かれて善光寺詣り:【思いがけないことが縁で、いい結果に導かれること】