Kalanchoe.

「幸福を告げる」「たくさんの小さな思い出」「あなたを守る」「おおらかな心」

あらすじのつもりがかなり長くなってしまいました。

秋深まる今日この頃、皆様はいかがお過ごしでしょうか。はにーです。

今回は

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高校時代この教科書を使っていた人なら一度は読んだことがあるであろう小説の話をします。

南木佳士の「ウサギ」です。

 

まず、作者である南木佳士について簡単に説明します。

昭和26年に群馬県に生まれ、再婚した父と離れ祖母と姉とともに群馬の山村で子供時代を過ごした後中学2年に父と継母の住む東京に引っ越します。

その後東京の国立高校に進みサッカー部に所属しますが約半年で退部、受験勉強に打ち込み医学部を受験しますが数学が出来ず浪人、予備校に通い秋田県の医学部に進み(彼にとってはこの選択は不本意で大変辛い学生生活だったようです)、佐久総合病院に呼吸器系専門の内科医として勤務。平成元年に「ダイヤモンドダスト」で第100回芥川賞受賞。ですがその2年後にパニック障害を発症。平成9年寝たきりの父を在宅介護。その後いろいろあり現在に至る。って感じでしょうか。

 

そんな南木佳士さんが書いた小説「ウサギ」。

 

寝たきりになり、1日に6回のオムツ交換が必要な父と同居する主人公一家。

妻はそんな父の介護で忙しく、日頃の家族の食事もどんどん粗末なものになっていく。

冬のある日の夕食で中学二年の次男が誰にともなく問うた、「ウサギは淋しいと死んじゃうってのはほんとかなあ」という一言と、自主的に祖父の介護を手伝う姿を見て主人公は己の余裕なき少年時代を思い出していた。

 

群馬の山村の谷間、山の中腹にある小学校に通っていた主人公は再婚し東京に継母と住む父と離れ、祖母と姉と3人で暮らしていた。

貧しい生活ではあったが祖母のおだやかな母性と、家の事情を理解する小学校の古い教師に甘えわがままな少年であった彼は、小学4年の頃に転校してきた、山村の発電所の所長に赴任してきた父の娘である成績優秀な美少女「中川清子」と出会う。わがままであった彼は清子の出現にショックを受ける。彼女の存在は今まで自分に多少は甘く接していた教師の態度を高圧的なものにし、清子に悪態を吐きたくともその愛らしい笑顔を見てはその悪態を胸にしまい清子を嫉妬と羨望の対象にしていった。

小学4年生の冬の日、終業式の前日出会ったその日に彼は清子のランドセルの中身を校庭の隅で飼っていた小さなウサギとその餌である少量の白菜と取り替えるというイタズラを決行する。

誰にもばれたくない一心で走って帰宅した彼は、どうしてもウサギに気づかずランドセルを背負い帰宅した清子が気になって仕方ない。

不安で寝付けなかった彼だが渋々翌日学校に行くと、イタズラのことがばれた様子もなくいつもと変わらぬ笑顔を振りまく清子がいた。ウサギのことを調べることもできず、結局そのまま冬休みになり事件はうやむやになってしまう。

イタズラのことを黙っててくれた清子に対し、大きな借りができてしまった気がして嫉妬が消え、愛らしさに加えその懐の深さに対する恋心に似た憧れの念ばかりが増大していった。が、面と向かって何も話せぬまま、月日はすぎついに清子は転校して行ってしまった。

清子のいない学校に興味がなかった彼は、中学2年になるときに東京の社宅に住む父と継母のもとへ引っ越し転校する。

が、父と継母との冷めた共同生活が苦しく、現実逃避のために読書と受験勉強にのめりこみ国立高校に進学。サッカー部に所属するも放課後まで教師に管理されるのが嫌で半年で退部。その後食っていくためにと国立の医学部を受験するが数学が出来ず浪人し、東京の御茶ノ水にある予備校に通い出した彼は、予備校の玄関ホールの壁に貼り出された模試の結果上位50人の名前の中から、中川清子の名前を発見する。

直後、走って彼女の所属するAクラスの教室に走って向かうと昼食をとる中川清子の姿を見つけた。

子供時代と変わらぬ整った顔立ちと女らしく丸みを帯びた体つき、そして模試の上位に食い込む成績を持つAクラスの美しき才女である中川清子の横にCクラスの劣等生である主人公が座るのはためらわれた。

結局時間を変え予備校近くの喫茶店で2人で話すこととなる。

が、冷えた笑い顔を浮かべる清子に違和感を感じる主人公。

あれから何度かの転校を経て、精神科医になりたいという彼女は、群馬の山村で過ごした子供時代のことはとくに覚えておらず、今は勉強することしか頭にないようだった。

わずか20分そこそこで喫茶店を出て、駅で別れたときに見た彼女のとってつけたような笑顔がさみしそうに見えた。

帰りの電車の中で、主人公は清子に「ウサギ」のことについて聞き忘れたことを後悔する。あのことを聞けば少なくとも清子の微苦笑を誘い出せたかもしれないのに…。

後悔も虚しくその後清子と話す機会はなくなり、彼女は翌春東京の難関大学の医学部に合格。主人公は秋田の大学の新設の医学部に合格し離れ離れになる。

不本意な学生生活を送る彼は、5年生の冬に戻った地元にて小学校の同窓会に参加する。

そこで彼は悪童友達であった幸夫から、清子が昨年神奈川の海で死んだことを聞かされる。

親の旅館を継いだ幸夫は、群馬の山村の発電所の所長の娘ということで葬儀に参加したのだが、花輪も参列者もわずかな淋しい葬式だったらしかった。

主人公は幸夫に死因を詰め寄って聞くが、結局はわからぬままであった。

 

次男が寝たきりの父に夕食を与え終わるまで、食堂で妻と向き合ったまま番茶を飲んでいた主人公。

「淋しいと死んでしまうウサギ」に中川清子の姿を重ねていた彼は、底知れない虚しさを感じつつも次男に「そういうのってたぶんあると思うよ」と語りかける。

「淋しさが刃物になるんだよな」と満足げにうなづく次男。やれやれとオムツ交換に立ち上がる妻。

外は冬の雨になっていた。

 

 

えー…。 あらすじのつもりがかなり長くなってしまいました。

 

 私、実はこの小説が大好きでして…。

 学生時代、現代文の教科書を手にしたときにだいたい1日かけて教科書に掲載されている小説を読んでいるのですが、この「ウサギ」を授業でやるのがすごく楽しみでした。授業でやったとき、先生がまず南木佳士の経歴を簡単に説明したのちウサギの内容に取り掛かっていたので、「この小説は実は南木佳士の実体験なのでは?」と思ったのが記憶に残っています。

 なぜ清子は自殺したのかとか、この小説における「ウサギ」とはなんなのかとか、授業で取り上げてくれてそのときだけは現代文の授業が好きでした。

ただ、そのときはあくまでも「授業」として「ウサギ」を読み、現代文の問題を解くような感覚で「ウサギ」について考えていたので、最終的にはやっぱり現代文の授業はつまらないなと思いました。

 

 現代文の授業で小説を取り上げると、主人公の行動の理由や文章の選び方一つ一つが問題になってしまいそれに対する「正しい考え」を見つけなければ点数を得られないので、結局誰かの考えを押し付けられるような気がしてしまうのです。

 これから書く文はあくまで私の解釈と感想なのでああこういう考えもあるのねってそんな感覚で読んで頂けると嬉しいです。

 

 

 この小説最大の存在である中川清子について私なりの解釈を書きます。

 

 子供時代、笑うとえくぼができる整った愛らしい顔立ちと文武両道優秀な成績であった中川清子はもちろんクラスではアイドル的存在であり、悪ガキであった主人公もその愛らしい笑顔の前では頬を赤くして伏し目になってしまうほどでした。

 あの日、ランドセルに入れられたウサギはどうなったのか… 彼女が実はなんらかの理由でウサギの存在に気付き帰る前に小屋に戻したのか、それとも帰宅途中でウサギの死体を泣く泣く土に埋める羽目になったのか…。もしくは、実はウサギは生きていて家に帰ってから両親にもらったと説明して家で飼うことになったとかいろいろ考えられます。

 確かなのは清子はこのイタズラについて誰にも話さず胸に隠していたということですね。懐が深いからのか、もしくは実はその頃から冷めた性格をしていてウサギになんの興味もなかっただけとか、いつかイタズラをした犯人を脅すために黙っていようと思っていたのか、実は主人公が知らないだけで学校の人物全員が知っていて黙っていただけなのかこれもまたいろいろ考えられます。

けれどもその事件を結局誰にも話さぬまま彼女は成長しやがて精神科医を目指すこととなります。

 精神科医を目指すに至った理由も多岐にわたって考えられます。例えば精神障がいを持つ人物と触れ合い影響を受けたとか、精神科の本を読んで興味を持ったとか、はたまた主人公と同様給料面を気にしてなど。

それでも、「一つのことを考えると他のことが気にならなくなる性格」の彼女が予備校に入って浪人して目指すほど、精神科医になる目標は確固たるものだったと思います。

 

 ここで私は彼女が精神科医を目指すに至った理由を1つ提案します。

それは「彼女自身が抱える精神の異常を、精神科医になって治したかった」ということです。

 

 粗筋の段階で書くのを若干省略しましたが、中川清子は小学校6年で静岡の学校に転校し、その後「父親と一緒に」埼玉へ引っ越します。なぜ母親は一緒でないのかとか、いろいろ考えられる事情がこの境遇に多くあります。また美少女であった彼女は小学校を卒業してから高校を卒業するまで様々な経験をしたことでしょう。

 もしかしたらそんなことで精神を病むなんて甘えすぎじゃないかと言われそうですが、私には、(恐らく)18歳の時点で、硬い表情と機械的なうつろな声で

「私ねえ、一つのことを考え始めると他のことが目に入らなくなってしまう性格なの。今はとにかく医学部に入る。そして精神科医になる。そのためにはハードな受験勉強を自分に課していくしかないって思ってるの」

と主人公に語った清子の精神が正常な状態にあるとは、思えないのです…。

 

 その後無事難関大学の医学部に合格した彼女ですが、結局精神科医にはなれぬまま神奈川の海で死にます。

死因はなんなのかわからず小説内での彼女の描写は終わりますが… 考える間も無く確実に自殺でしょう。

短絡的に考えるのなら、きっと淋しいから自殺したのでしょうが、一体何に淋しいと感じていたのかとか、そもそも淋しいとは何なのかとか考えてしまい収拾がつかなくなるので彼女についての考えはここで終わります。

 

 最後にこの小説で作者は何を伝えたかったのか… これを考えるのは現代文の授業みたいで嫌なのですが、「弱いものは淋しいと死ぬ」ってことなんですかね。と、いうか「淋しさは人を殺す」ってことでしょうか。

 

 ちなみに。本来、「さびしい」とは「寂しい」と書きます。

 「ウサギ」においてずっと「淋しい」と書かれておりましたので私もそれに習いそう書きましたが、「淋しい」というのは「さびしい」という言葉の意味のうち「人悲しく物悲しい。孤独で心細い。さみしい」という意味にあたるそうです。

 

 人間って誰かといないと生きていけないんでしょうか。常に孤独だとやっぱりどこかで限界がくるのでしょうか。

 そうなるとやっぱりいつかは自分の気持ちを分かり合えるような存在を見つけた方がいいんでしょうか。

 

 秋の夜の冷たい風を受けなんとも言えぬ淋しさとそして「ウサギ」の秋のシーンの描写を思い出しどうしても読み返したくて衝動的に「冬物語」を購入しましたがとりあえず冬が終わるまでは全部読めたらいいなと思います。

 

 秋も深まり風も冷たくなってまいりましたので皆様もお身体にお気をつけてお過ごしください。

 

 はにーより。